救世主・イェシュア(イエス・キリスト)を信じる人々は、このお方が地上に戻って来られて平和を回復して下さるように求めない人はいないでしょうか?信じる人は皆、メシアがすぐにこの地上に戻って来られるのを待ち望んでおられることでしょう。
まだ、イェシュアを受け入れていないユダヤ人たちの間でも今すぐにメシアが来られるのを望んでいることを見ることが出来ます。というのは車のバンパーのシールにも、また印刷されているグッズにも、彼らがかかげているスローガンに「今すぐにメシアが来られるのを望んでいます」と書かれたものがあるからです。私たちメシアを信じているユダヤ人も異邦人も、また信じていないユダヤ人たちも今すぐにメシアが来るのを待ち望んでいるからではないでしょうか?
聖書の御言葉ではメシアがこの地上に戻ってくる前に多くの困難、災難や問題が許される時期があることを教えています。事実、主はメシアが戻って来る前の期間を「ヤコブの災難」と言っています。
エレミヤーフ (エレミヤ) 30:5 まことに主はこう仰せられる。「おののきの声を、われわれは聞いた。恐怖があって平安はない。(30:6)男が子を産めるか、さあ、尋ねてみよ。わたしが見るのに、なぜ、男がみな、産婦のように腰に手を当てているのか。なぜ、みなの顔が青く変わっているのか。(30:7) ああ。その日は大いなる日、比べるものもない日だ。それはヤコブにも苦難の時だ。しかし彼はそれから救われる。(30:8) その日になると、――万軍の主の御告げ。――わたしは彼らの首のくびきを砕き、彼らのなわめを解く。他国人は二度と彼らを奴隷にしない。(30:9) 彼らは彼らの神、主と、わたしが彼らのために立てる彼らの王ダビデに仕えよう」
この聖書の御言葉を見るだけでもメシアが戻って来られる時はひどい災難が先に起こることが分かります。預言者エゼキエルもこの世界が本当に真の神に立ち返る前にひどい災難が許されることを告げています。
エヘーツキエル (エゼキエル) 38:22 「わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる。(38:23) わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう」
ダニエル書の7章から12章でもメシアが戻って来られる前はこの地球が大艱難に直面することが説明されています。ですから、私たちは文字通り救世主であられるメシアが必要なのです。
マルコ 13:7 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。(13:8)民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。13:24 だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、(13:25) 星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。(13:26) そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
聖書を忠実に学んでいる生徒、信者にとって明らかですが、メシアが戻って来られる前は戦争や多くの艱難が許されます。メシアが戻って来られる前に先立って戦争や艱難が許される期間を考えるとき、現在、世界に許されている状況、特に中東に許されている状況に私たちはどのような態度をもって臨んだら良いでしょうか?不必要に罪もない男性、女性、また子どもたちが殺されることを願う精神異常者以外に於いては、そのような人を見つけることはないと思いますが、誰も戦争を望んでいる人はいないでしょう。しかし、聖書ははっきりとメシアが戻って来られる前は戦争が許されることを語っています。戦争は多くの死者を出しますが、残念なことに死者の中に一般の市民もまた含まれます。私たちは神の方法を理解することが出来ません。事実、神の方法は私たちの方法とは異なっています。
イシャヤーフ(イザヤ) 55:9天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
神の許し無しに一羽のすずめさえも地に落ちることはありません。ですから、神は誰が死に誰が生きるということに関してもすべて御存知です。死んでいく者たちが贖われるというこの事実に付け加えると、更によみがえりがあるという確信に立って考えると死は終わりではなく、始まりであるということに気づくでしょう。
メシアであられるイェシュアにあって死んでいく者たちは死ぬのではなく、神と共に永遠に生きることなのです。ですから、メシアが戻って来られる前に戦争や多くの艱難が許されることに関して、私たちは戦争が起こらないようにまた多くの困難や艱難が起こらないようにと祈るべきでしょうか?また私たちは戦争に反対すべきでしょうか?ですから、「私たちは多くの罪のない人々が殺される戦争を望みませんが、私たちの思いではなく、あなたの御心がなるように」私たちはこのように祈るべきです。
あの恐ろしく、悪魔的なホロコーストが許されなければ、イスラエルという国がもう一度復活するということはなかったことと同じように、アフリカの奴隷売買も残酷で、自分勝手なものでしたが、その結果、もしこのことが許されなければ、カリブ海の多くの島々にとても美しい人々が住んでいるという現実は無かったことでしょう。人がある目的と優先事項をもって戦争し、またその結果とそれに伴う多くの事実が許されたとしても、それに優る究極の優先事項、すなわちすべての事柄が主によって決められるということなのです。
ですから、後のものが先になり、先のものが後にならないように、私たちが今、メシアが来られることを本当に望むならば、戦争、殺人、多くの痛み、喪失、試練、迫害、艱難が許されることに対して備えていかなくてはなりません。
私たちは今メシアが必要なのです!

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